2011/11/30

おやすみ!

11がつ 30にち すいようび

今日で今年の仕事は終了しました!
グアテマラの小学校教諭は12月いっぱいお休みをいただくことになります。

グアテマラの学校は10月中旬~1月中旬まで約3か月間、子どもたちは休暇。
先生たちは11月と12月の2か月間がお休み。
日本のように春夏秋冬で小さな休みがあるのではなく、一気にドバーン!と休むので、1月~10月までほぼ中休みはありません。

3ヵ月も休んだら、子どもたち学校で習ったこと忘れないのかな。。。
学校によっては宿題をちゃんと出したり、数日間授業を行ったりすることもあるようですが
統一されているわけではなさそう。

子どもたちに「休みの間何するの?」と質問すると、「Nada(なんにも)」という返事が返ってきます。
どうして?

日本だったら家族とどこかへ旅行へ出かけたり、友達と遊んだり、自分のやりたいこと言うだろうになって。

グアテマラでも裕福な家庭の子どもだったらそういう風に答えるのかもしれない。
でも、大半の子どもたちは親の仕事を手伝ったり、親を助けるために働いたりしてる。どこかへ出かけるお金もないから、近所の子どもたちと外で遊んだり、家の中でずっと過ごしたり。

町へ出れば、本当にたくさんの子どもたちが働いてる。
靴磨きしたり、バスでお金を回収したり、お菓子を売ったり。。。

私がホームステイしてる家族も、息子たちが小学校高学年あたりから休暇中はずっとお父さんの仕事の手伝いをしていたみたい。
子どものころは遊ぶことが仕事だってよく言うけど、遊んでられない現実がここにはある。

貧しくても一生懸命働いて、暮らしを良くしていこうとする人もいれば、
若くて働けるのに、働きたくなくて物乞いをする人もいる。

グアテマラでの生活にも慣れてきて、自分のことでいっぱいいっぱいだった時期を少し過ぎて、
これからはもっとこの国を知りたいと思う。

私の目はまだ何も見えてない気がする。

仕事のこともっと考えなきゃだけど、ちょっと置いといて、ちょっと違う角度からグアテマラを見てみることにしてみよう。

2011/11/24

カウンターパート

11がつ 24にち もくようび


今年度最後の研修会が終わった。
来年度からフローリーと一緒に頑張ろう!って思ってたのに、もしかしたら来年度からカウンターパートじゃなくなるかもしれない。


なにやら、今週の土曜日、シェラにある国立のサンカルロス大学でケツアルテナンゴ県の教員を対象にした試験があるらしい。
試験に合格すれば、毎週土曜日の計2年間、大学で教育学を勉強する資格がもらえるんだそう。しかも奨学金が出て、授業料全額支払う必要がない。
2年間無事に終えれば、修了証書とともにランクが上がって、給料も少し高くなるらしい。


しかも、毎年チャンスがあるわけじゃなくて、前回はなんと2001年。
10年ぶりのチャンス。逃したら次はいつかわかんない。


こんないい話、黙って見過ごすはずがない。


というわけで、フローリーもテレも土曜日試験を受けに行くようなのです。


問題は、もし合格して大学に通うことになったら、講義の宿題として自分たちの生徒に習ったことを実践してその結果を報告したりしなければいけないということ。普段先生として学校で働いていれば問題はないんだけど、私のカウンターパートをしていたら、子どもたちに授業する時間はない。
だから、学校に戻らないといけない。というわけ。。。

そもそも、私がカンテルに来る7月までフローリーは学校で先生をしていたんだけど、今回私と一緒にGUATEMATICAの指導者として研修を行っていくカウンターパートに選ばれたので、今は学校での仕事は休職という形をとってる。
テレも一緒で、8年前ボランティアがシェラで活動を行っていくと決まってから、普通に学校で先生として働いていたテレをカウンターパートとして選んで、GUATEMATICAを普及していくために教育事務所でボランティアと一緒に仕事をしてきたのです。


大学で勉強できるなんて願ってもないチャンス。ほんとなら心から合格することを祈りたい。


だけど、もしフローリーいなくなったら来年からどうしてけばいいの。。。って不安がドバーっと押し寄せてお先真っ暗になっちゃいそうだった。
だって彼女以上にいいカウンターパートなんていないって思うから。
努力家で、彼女から学ぶことは山ほどあるし、この4か月ずっと一緒に活動してきて信頼関係も築けてきたところだったのに。。。
カウンターパート続けながら大学通う方法もあるにはあるけど、そればっかりはどうなるかわかんない。彼女の未来を考えたら、私のカウンターパートするより大学に通いながら学校で仕事する方がいいに決まってる。
複雑な気持ち。。。

もう今はただ結果を待つのみ。。。

これから一体どうなるのかなぁー。。。

2011/11/23

やるべきこと

11がつ 23にち すいようび

今月は学校が終わって、フローリーもお休みに入ったので一人で事務所にいることが多くなるかなーと思っていたら、毎週なにかしら研修(同期のカウンターパート、テレが行う算数講義)があり、参加して勉強する日々が続いていました。

研修を受けながら感じることは、やっぱり自分の知識のなさ。

小学校から習ってきて、勉強してきたとはいえ、改めて「これってどういうこと?」って聞かれたら答えられない。
それに、日本のボランティアチームが制作した教科書なんだから日本人ならわかるだろって思われてるけど、全部が全部日本の教え方と一緒じゃないから私自身「これってどういうこと?」から始まる単元もある。

私に求められていることは、GUATEMATICAの教え方を全部理解して、それをわかりやすく、簡単に、楽しく先生たちに説明すること。
それで、先生たちが今まで習ってなかった単元も理解できて、自分の知識に自信をもって、子どもたちに授業できるようになるのが目標。

今はその準備段階ってことで勉強させてもらってる。テレはもうボランティア5代目ってこともあって、色々理解してくれているおかげでなにもできてない私がここにいられるってつくづく感じる。

こういう日々が続く中で、協力隊に応募するかどうかずっと迷ってた時期があったのを思い出した。
経験もない私が途上国に行って、なにかできることがあるのかな。何も役立てることがないのにただなにかしたいってだけで行ったってきっと迷惑なだけじゃないかって。
だからあきらめた時期もあった。今の自分にはなにもないから。

だけど、やっぱりずっとひっかかってて、あきらめきれなかった。
教育学部で先生になる勉強してたけど、卒業してそのまま先生になる自分も想像できなかった。
小・中・高・大学とずっと学生して、外の世界知らないまま先生になって、一体何を子どもたちに伝えたいのかわかんなかった。
外に出て、もっといろんなこと知って、経験してから子どもたちの前に立ちたいって思った。

結局、自分のために協力隊に応募して、ここに来て、あの時思ってた通りのことが今起こってる。
スペイン語もろくにできない、教師の経験もない、教科書もよく理解してない。
何しに来たの?ってほんとにその通りだなって思う。

ごめんね、来年度からは研修できるように頑張るから!って言って、今は待ってもらってるけどいい加減役に立たなきゃ。
いつまでも甘えてちゃダメだ。
気合入れなおさなきゃ。うん。

明日は今年度最後の研修会。いっぱい勉強してこよう!

2011/11/15

シェラマラソン!

11がつ 13にち にちようび


今日シェラでハーフマラソンがありました!


一か月前は出る気満々だったけど、結局1回しか練習できず。。。
その練習も、家からカンテルの入口まで往復5キロちょっと走ってバテバテに。


標高が高いせいかすぐに息があがってしまって、一回走ってみて、ここでハーフは無理だな。って思ってしまった。
練習せんと走れんと。


というわけで、練習していない私は出場をあきらめて他の隊員の方の応援をしに行ってきました。


皆さん制限時間内にゴール!
おつかれさまでしたー!

来年は必ず!グアテマラ協力隊隊員の中で「チーム風」というマラソンチームがあるので、次回のコバンマラソンから参加しようかと考え中。
なんでマラソンかっていったら、走ることが好きだから!というよりもこれ以上太らないための手段かもしれない。。。


太るのなんて簡単。グアテマラではやっていけても、このままじゃ日本に帰れなくなる!!!


2年後帰って「誰!?」なんてことになりたくない。


走るぞー!おー!

2011/11/12

3県合同研修会

11がつ 10にち もくようび

今日、シェラで3県合同の算数研修会を小学校教諭ボランティア6名で行いました。

現在、グアテマラの小学校教諭はサンマルコス県(2名)、ソロラ県(2名)、ケツアルテナンゴ県(2名)の計6名で活動しています。
今回は、サンマルコス県で働いているヨーコさんが呼びかけて、各県の先生方(およそ40名)を集め、算数の研修とともにお互いの交流を深めようという目的で開催しました。

私はカンテルの各学校の代表の先生に今回こういうのがあるからぜひ来てくださいーと呼びかけたはいいものの、当日まで彼らが本当に来てくれるかどうかとっても不安でした。

フローリーしか来ないかなと思ってました。

というのも、今回3県合同研修会というのは初めてで、企画を通すために必要な書類を準備しなくてはいけないことを知らなかった、段取りがボランティア間でうまくできていなかったせいで、色んなことが不確定なまま当日を迎えてしまったから。

先生たちにも口伝えだったし。。。

しかも休暇中にわざわざ出てきてくれるのかなっていう心配もあった。

でも、当日カンテルから4人の先生が来てくれた。本当は6人誘ったけど、一人はほかの仕事の関係、もう一人は不明・・・。
でも4人来てくれたことがすごく嬉しかった!ありがとう!先生!

研修会は、シェラの先生が講師となって1~4年生の内容の研修を行ってくれました。

そして、レファクション(軽食&休憩)の時間。
ソロラ県のユカさんがカレーパン90個、イチゴプリン60個、サンマルコス県のしましょうはいももち(北海道のおやつ)50個をなんとこの日のために作ってきてくれたのです!
(私はいももちに付ける砂糖醤油担当)



先生たちは日本の食べ物が食べれると思って大喜び。この日一番沸いた時間でしたw
 
                    わくわくしながら並ぶ先生たち

私も相当嬉しかった。カレーパンめっちゃおいしかったー。2個食べたー(>_<)
し・あ・わ・せ。

先生たち喜んでくれたところで、後半戦。9時半頃始まり、終わったのは2時過ぎでした。
今回遠いところはシェラに来るまで車で3時間くらいかかるのに、この研修会のためにわざわざ来てくれた先生たち。
色々刺激になって、モチベーションアップにつながってくれることを祈ろう!

来年度は新人の私たち(23年度1次隊)がこういう研修会企画していけるようにならねば。
決意を新たにした日でした。



来月、ソロラ県で活動していたチエさんが任期を満了して帰国されるということで、次の日隊員だけの算数部会を実施。
これまでの活動について色々と報告し合い、先輩隊員の方々が現在宙ぶらりん状態の私にアドバイスしてくださいました。
できないことは教えてもらいながら、先輩隊員の方が残してきたものをつなげていけるようにしていきたいなーと感じたこの2日間。
元気をもらって、また次!はたらこーう!

2011/11/07

新大統領!

11がつ 7にち げつようび

昨夜、グアテマラの新大統領が決まりました。


その名も、Otto Pérez Molina(オットー ペレス モリナ)

そう、前回ほっぺにチューしてくれた彼であります。
オットーは54.48%獲得。もう一人の候補者だったManuel Baldizón(マヌエル バルディソン)は45.52%でした。
                          昨夜のテレビ中継

汚職やなんかであんまり評判がよろしくないグアテマラの政情。。。

これからどうなっていくのかな。
良くなることをただ祈るばかり。頑張って!オットー!

来年度、学校に教科書ちゃんと配ってくれますように・・・!!

2011/11/05

死者の日

11がつ 1にち かようび


今日は「死者の日(Dia de los muertos)」。

カトリック教会で全ての死者の魂のために祈りを捧げる日です。
日本でいう、お盆。
カンテルでもたくさんの人々が花をもってお墓へお参りに行っていました。


この日だけ食べる特別な料理。その名も「Fiambre(フィアンブレ)」。
一般的なスペイン語の意味は、冷肉=ハムやソーセージ。またはそれを使った冷たいサラダ。

グアテマラのフィアンブレは何種類もの野菜や豆、そこにハム、ソーセージ、肉(場所によってはシーフード)を盛り込んだ、1年に1度だけのご馳走。
ドーニャアントが作ったフィアンブレ、とってもおいしかった^^


昼ごはんでたっぷり食べた後、お墓へ行ってみた。

外に出るとたくさんの人。みんな花を持って墓地へ向かっていた。子どもたちは凧をもって。


乾季がやってきて、子どもたちが凧揚げする姿をよく見かけるようになった。昔よく遊んでたなぁーって見るたび懐かしく思う。


この日はお墓で子どもたちが凧揚げ。この光景もなんだかおもしろかった。


見てると、途中から楽器をもったバンド集団がやってきて演奏し始めた。頼んだら演奏してくれるらしい。。
太鼓叩いてる人演奏中になぜか靴磨きしてもらってた笑 なんで今?


おもしろい光景も見れたけど、とにかく色鮮やかな花で飾られたお墓はとってもきれいだった。





聞いた話によると、ある家族はその日一日お墓にいて、夜もお墓で眠るらしい。
こんな寒い中ー
でも、死者に寄り添う、とっても大切な日なんだもんなぁ。。。

お墓に立って、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんのことを思い返してみた。

一緒にお墓へ行った友達と、お互いの家族について話をして、なんだかあったかい気持ちになった。
こうやってゆっくりと、亡くなった人に想いをはせること、これからも忘れずに大切にしたいなって改めて感じた日でした。


夜の墓地も見てみたいな。
ということで、暗くなってから再び墓地へ。
ろうそくに灯をともして、祈りを捧げる人々。

とってもきれいだった。

穏やかな時間が流れる墓地に代わって、町の中心部ではキリスト教のプロテスタント派の人々が集まってちょっとしたお祭りが行われていました。

バンドが来ていて、歌を歌ったり、踊ったり。
最後に皆で一斉に風船を空へ。

死者への祈りを込めて。