9がつ 27にち もくようび
協力隊としてグアテマラに来て、子どもたちのためにって活動してきたつもりだったけど、
日々の生活の中で、私は現実をきちんと受け入れることができないまま、自分の中で答えが出せないままでいる。
毎日、至る場所で、ガムや飴を売っている子、靴磨きをしている子、道路で芸をしてお金を集めている子、たくさんの働く子どもたちを見ている。
このグアテマラでは、この光景は普通の、当たり前の景色。
その子どもたちと直接話をしたことはない。
だけど、たいていの場合、その子たちの親が働くことを強要しているという。
もちろん、畑仕事や家の家事の手伝い、小さい子の面倒を見るのは当たり前のように子どもたちの仕事。親を助けることは大切なことだから、手伝いをするのは当然のこと。
だけど、それとこれとは意味が全然違う。
学校に行くこともなく、毎日わずかなお金を得るために働いている子どもたち。
私はただ、見ることしかできない。この現実をどんなふうに解釈していいのかわからない。
私にはどうしようもないと、あきらめることしかできなかった。
今日、フローリーがある映像を見せてくれました。今彼女は毎週土曜日に大学で勉強しています。
先週の大学の授業でグアテマラの子どもたちに関する講義を受けたといって、
内容を教えてくれたんです。
そこにはたくさんの働く子どもたちの様子が映っていました。
家を建てるために必要なコンクリートのブロックを、まだ6歳にもならない子が運んでいる様子。
大きな岩を砕いて、細かい小石にする作業を黙々と続ける子どもたち。
最後に見せてくれた映像は、ずっと私の脳裏に焼き付いて離れません。
それは8歳の男の子でした。
市場で、パンを一つ盗んでしまったんです。
食べるものが無くて、お腹がすいていたんでしょう。家に帰っても彼に食べ物を与えてくれる家庭ではなかったのかもしれません。
彼はパンを盗んだところを見つかってしまいました。
そのあと、見つけた大人たちは何をしたと思いますか?
その大人たちは、パンを盗んだ戒めに、8歳の小さな子どもの腕を、トラックのタイヤでひいたんです。
逃げられないように押さえつけて。
見たくなかった。
なんでこんなことができるんでしょうか。
盗むことは悪いことです。
でも、だからといってその盗んだ手を使えなくすることが、罰を与えることが、正しいことですか?
ただただ、胸が締め付けられる思い。
苦しくて、怒りを通り超えて憤りしか残らなかった。
食べ物もろくに与えずに、学校にも行かせずに、我が子を働かせる親たち。
子どもは親が全て。一生懸命働いて、親に認めてもらいたい、愛してもらいたいと願ってる。
でも、親たちが子どもたちにする仕打ちはなんでしょう。
子どもが稼いだお金を全部自分のものにして、お酒を飲んで、子どもに暴力をふるう。
愛を知らずに育った子どもたちは、何を信じて生きていくんでしょうか。
グアテマラに来る前は、貧しい家庭でもみんな助け合って一生懸命生きてるんだと思ってた。
確かに、そういう家庭はいっぱいある。貧しかったけれど、家族で助け合って生きてきて、子どもたちは立派に育って、それぞれ自分の家庭をもってしっかりと生きてる。
でも、子どもを大切にしない親たちがあまりにも多い。
貧しいから働かなきゃいけないのは仕方ない。でも、その中に愛情があれば、子どもたちは希望を失うことはないはずなのに。
貧しさは人の心も貧しくするのでしょうか。
日本は豊かな国になったけど、心がすさんでしまった、なにかおかしくなってしまった部分もたくさんある。
貧しいから、という理由がこのグアテマラで起こっていることを説明することにはならない。
今回改めて、見たくなかった現実を突きつけられて、また考えさせられた。
でもやっぱり答えは出なくて、ただ心が痛いと思うことしかできなくて、
私は何をしにきたんだろうと思った。
初めから、なにかできるなんて思ってたわけじゃないけど、見ないふりばかりしている自分にため息がでた。
これから何か大事な場面に出会ったとき、私はなにかできるんだろうか。
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